私的名馬列伝 「ナリタブライアン」
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父がギャンブルとして競馬をやる人だったので、小さい頃から休日にはテレビに競馬中継が映っていたので目にしていました。初めて覚えた馬の名前はテンポイントでした。
しかしその頃は「熱心に観ていた」というわけではないので、シンボリルドルフやミスターシービーのときは、リアルタイムでレースそのものを観たというはっきりした記憶はありません。
リアルタイムで三冠レースを全て観た初めての三冠馬が、ナリタブライアンでした。
父ブライアンズタイム、母パシフィカス。母は前年に、菊花賞他G1を3勝したビワハヤヒデも産んでいます。
白い「シャドーロール」という馬具をつけていたことも特徴的で、この馬の成功によってシャドーロールも一時期流行しました。
ナリタブライアンは牡馬三冠を制した後、その年の有馬記念も勝ち、この時点で偉大な兄を超え、さらにG1勝利を重ねることが期待されましたが、翌年はいまいちな成績に終わり、その次の年には、阪神大賞典(G2)勝利、天皇賞・春2着の後、なぜか高松宮杯に出走することになります。明らかに長距離を得意とするナリタブライアンに1200mのG1を走らせるというのはあまり見た記憶がない事例で、実際に業界内でも物議を醸したようです。
その出走が適切だったかどうかは別として、そんな不得意なはずのレースでも大敗というわけではなく、4着まで来ているところはさすがだと思います。
しかし結果的には、その1か月後に屈腱炎を発症し、引退することとなってしまいました。
翌年には種牡馬となったナリタブライアンですが、残念なことに次の年には病死してしまいました。2世代の産駒を残しましたが、重賞勝利馬は出ませんでした。
明後日には2歳馬のG1、朝日杯フューチュリティステークスが開催されますが、意外なことに、このレース(2000年まではレース名”朝日杯3歳ステークス”)を勝って、その後三冠馬となったのは、今のところナリタブライアンのみです。今年はどんな馬が勝ち、翌年のクラシックでどんな成績を残すでしょうか。